第7号の表紙には当時大人気だったバンド「鳥尾敬孝とオールスターワゴン」をフーチャーしてフットボール観戦シーン風に撮影している。ボーカルの井上高やドラム田邊昭知、当時はまだバンドボーイだった平尾昌章に、この年「バナナボート」を唄って大ヒットを飛ばした「カリプソ娘」浜村美智子を加えた豪華メンバーの表紙。
撮影は中村立行さん。撮影場所は当時最新の建築だった晴海見本市会場。
3列目右端がバンドマスター鳥尾敬孝。 左端は石津の次男祐介。
表紙ではカットされているが、右写真で分かる通り、4列目には石津謙介と大川照雄が座っている。
右端は西田編集長。カメラの脇には当時婦人画報社編集部員だった石津祥介が撮影を見守っていた。
     

こうして婦人画報社の「男の服飾」を手伝いながら、謙介は自分のビジネス拡大をしっかりと図っていった。

彼自身はこう語っている。

--『男の服飾』は最初三万五千部発行した。そのうち半分はぼくが買い、ぼくが小売屋さんに買ってもらった。ところが、それが引っ張りだこの人気だった。その頃には男の服飾の教科書になる本などなかったから、小売店の主入たちが『男の服飾』を勉強の材料にしたわけだ。
ネタは、ぼくがフランス、イギリス、アメリカなどの雑誌から仕入れ、それを『男の服飾』に紹介した。
日本で最初のメンズ・ファッションのガイドブックといってもいいだろう。
本が売れるのを利用して、ぼく自身も次々と小売店を作っていった。というのは、履き物屋さんが「もう下駄が売れる時代ではないから」と言っているのを聞きつけると、「ぼくが伝授するから洋服屋をやりなさい」と商売替えを説得する。販売のノウハウはぼくが教え、『男の服飾』を読んで"ファッション"を勉強してもらうわけだ。そんなふうにして作ったお店が、いまだに残っている。
皆立派なメンズショップになっている。--

石津謙介オールカタログ 講談社刊