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初期のメンズクラブ
( 男の服飾 )

初期のメンズクラブ(男の服飾)
石津謙介が創刊当時から手伝い、後年はVANの宣伝雑誌ともいわれた婦人画報社(現ハースト婦人画報社)のMEN'S CLUB。
Wikipediaには 「創刊当時から『アイビー』ファッションについて大きく取り上げ、一貫しトラディッショナルなスタイルを掲載し続けてきた」 と解説されているが、それは大きな誤解である。
創刊号から6号あたりまでは、VANはおろかアイビーの香りすらしない。
もちろん記事としてのアイビー解説はあり、また製作ヴァン ヂャケットの服の紹介も登場しているが石津謙介のデザインする大人服が殆どであり、アイビーとかトラディショナル・ファッションというカテゴリー商品ではない。 また読者層も後年のヤングを対象としたものとは随分異なる。
MEN'S CLUB = VAN JACKETと自他ともに認められるのは、判型が大判化(国際版と呼ばれた)した1963年12月発行の第34号からではないだろうか。

ここでは石津謙介が、海外取材から執筆、編集、対談とあらゆる部分にかかわった、創刊号から33号までの「男の服飾」(メンズクラブ)の初期の表紙をお見せする。

 
  雑誌名と内容の変遷
創刊号(1954年6月)〜・・・・「婦人画報増刊 男の服飾読本」
第3集(1955年4月)・・・・・「婦人画報増刊 男の服飾」
第4集(1955年10月)・・・・・「婦人画報増刊 男の服飾(MEN'S FASHION)」
第5集(1956年4月)・・・・・ 巻末に「男の服飾サービス部(製作・ヴァン ヂャケット、靴製作・平和堂)」
                  の通信販売が始まる。
第6集(1956年10月)〜・・・・「婦人画報増刊 男の服飾(MEN'S CLUB)」
                 「男の服飾サービス部」が取り扱う商品を「MEN'S CLUB」特選品
                  とし「VAN」とのダブルネームの商品として掲載されている。
                 (MEN'S CLUBはVANの保有するブランドの一つだった)
第8集(1957年10月)〜・・・・「男の服飾 MEN'S CLUB」
                  第7集までは婦人画報増刊だったが8集より単独の雑誌になり
                 「男の服飾」 と「MEN'S CLUB」のダブルネームとなった。
第16集(1959年10月)〜・・・・「MEN'S CLUB 男の服飾」
                  雑誌名が「MEN'S CLUB」となり「男の服飾」はサブタイトルになった。
国際版の時代
第34集(1963年12月)・・・・・誌名を「MEN'S CLUB」と改称し「新創刊」。
                 「VAN」と同じキャッチフレーズの「for the young and the young
                  -at-heart」が表紙に明記されている。
 


資料提供:国立国会図書館
 中村 誠    
能勢 裕