話をTAKE IVYに戻そう。

目次の右下には「表紙撮影・石津謙介 プリンストン大学にて」とあり「朝海アメリカ大使令息の案内でアイビーの本場、プリンストン大学で会った典型的なキャンパス・スタイル。アイビー調の上着。ノープリーツのズボン。ボタン・ダウンのシャツ。白いソックス。黒いタイ。」と説明している。
朝海浩一郎アメリカ大使は駐アメリカ合衆国特命全権大使として1957年に赴任。そのご令息とは、やはり外交官になられた二男の朝海和夫氏と思われる。
行く先々の日本大使館とも、そういう協力関係を作りながら取材を進めていったのだ。

65頁にもその時撮影した学生たちの写真が載っている。「プリンストンの学生は皆アイビーなんですか?」というメンクラ側の素朴な質問に「これらの写真も、私が選り好みして撮ったわけではなく、構内から出てくる奴をかたっぱしから写しても、こうなんですからね」という本人の説明がある。

そしてこの6年後の昭和40年(1965年)、石津祥介を中心とする撮影隊がアイビー校を回って、本場のアイビー・リーガースを取材し「TAKE IVY」という映画を撮影し、婦人画報社より写真集を上梓することになる。 
その先駆けは、この昭和34年(1959年)の「石津謙介 世界の服飾めぐり」の旅にあったのだ。