VAN 99HALL

1972年、VANの石津謙介社長は、ピエール・カルダン氏とパリで会うため渡欧した。ある日、セーヌ河畔にある"エスパース・ピエール・カルダン"(カルダン劇場)に招待された氏は感銘を受けた。その劇場は客席が60ほどで、客席より舞台スペースが大きくレイアウトされていた。氏は帰国後すぐ、家具専門分野のアルフレックスのスタッフに対し『VAN356ビルの1階をカルダン劇場と同じような空間にせよ』と命じた。
 99ホールは、まずVAN社内のイベント、展示会や研修会などを実施する場としてスタートし、その後、地域貢献の為のスペースとして活用する計画だった。ある時その工事を見ていた宣伝部の山口氏は、ホールの運営に関するレジュメをしたため、社長室へ直談判に向かった。そこで99ホールに対する自分の考えを社長に説明すると、石津社長は『君は99ホールに興味があるのか、それじゃ運営を任せるからやってみろ。』とその場で運営責任者就任が決まった。当時のVAN JACKETには、自分の考えを具体的プランとして打ち出し、社長や役員会が認めれば、プランが具現化するという社風があった。それが「若者のカルチャー発進基地」という新しいコンセプトを生み出したのだ。
客席を99にした理由は、当時『興行税』が増税され100円100人以上の興行に税金がかかるようになったことに反発した石津氏が、料金99円99人収容の小ホールに設定したためだ。会場が満席でも収益は1万円以下。当然赤字興業となるが、石津氏は今でいう企業メセナの感覚で、青山通りの一等地を若者達が演劇を公開する場所として提供したのだった。この劇場からつかこうへいの『初級革命講座飛竜伝』(出演一三浦洋一、平田満)、『ストリッパー物語』、『熱海殺人事件』、野田秀樹作・演出による『走れメルス』などが上演された。1978年、VANの倒産によりホールも閉場。文字通り。"伝説の舞台"となった。

FREE&EASY 2010年9月号より