「アイビーの猛者たち」と くろす としゆき

日本のアイビーを語るとき、石津謙介と並んで「くろすとしゆき」の果たした役割が大きかったことは誰にも異論があるまい。VANの古い社員であれば、彼がVANブランドのアイビー・スタイル確立に大きな役割を果たしたこと、また後年「Kent」ブランドをビッグ・ブランドに成長させたことをよく知っている。彼がVANの社員であったことは知らなくても、当時のアイビー、トラッド・ファンはMEN'S CLUBに長期間連載された「街のアイビーリーガーズ」や、彼のアイビー・ファッションについての記事を夢中で読んだものだ。ある意味「くろすとしゆき」は、石津謙介と並ぶ日本アイビー教教祖といえる存在である。

くろす としゆき氏は慶応義塾大学在学中にアイビーと出会う。
1955年(昭和30年)に長沢節モードセミナーにも入学し、そこでイラストレーションを教えていた穂積和夫氏と出会い、アイビー好きの仲間と7名で遊びの会「アイビーリーガース」を結成する。メンバーは穂積和夫、 黒須敏之、小谷映一、 渡辺達夫、 平林徹也、 足立健郎、 大里孝一の各氏。慶応義塾大学の学生とセツモードセミナーの生徒など、くろすの友人たちだった。そしてアイビー・パーティを企画したり、勉強会と称してアイビースタイルの注文服を仕立てたりしていた。

この活動に目を付けたのが、当時石津謙介が編集に多く関わっていた男の服飾・MEN'S CLUB誌である。すでに穂積和夫氏が同誌にイラスト(当時はカットといっていた)を描いていた関係で、そんな連中がいるのは面白いから紹介しよう、ということになったらしい。

ここに彼らの活動を紹介した最初の男の服飾・メンズクラブ14集(1959年)がある。それが「アイビー・リーガース大いに語る」と題した座談会。いま読むと、そのまじめで真剣な討論振りに驚かされる。業界人ならともかく一般の人が、服やファッションにこれ程夢中になった時代だったのだ。

この時くろすとしゆきが知ったのがメンズクラブ西田豊穂編集長、婦人画報社の編集部にいた後年のVAN JACKET副社長となる石津祥介である。その縁でメンズクラブに原稿を書きながら、大学卒業後はアルバイトし、テイラー山形屋に勤め、服作りを学ぶ。

1961年(昭和36年)、石津祥介が婦人画報社を退社し、ヴァンに入社するということを聞いた、くろすは入社を祥介に依頼する。(それまで「VAN」は知っていたが、祥介の父石津謙介がVANの社長とは知らなかったらしい)そして同年5月2日、株式会社ヴァン ヂャケットに入社する。
まだヴァンが日本橋にオフィスを構えていた時であった。

後年の活躍についてはまた別項で。(敬称略)

この項に関しては、くろすとしゆきさんの自書「アイビーの時代」(河出書房新社刊)を参考にさせていただきました。

くろす としゆき
服飾評論家。1934年東京都生まれ。
54年慶應義塾大学、55年に長沢節モードセミナーに入学。
在学中は学生バンドとアイビーに熱中し、穂積和夫氏らとアイビークラブを結成。
両校を卒業後、61年VANに入社。おもにアイビー、トラッドの商品開発およびプロモーション分野を手掛ける。
70年退社し、クロス・アンド・サイモンを設立と同時にダンロップ、リーガルの顧問に就任。
同社解散後はテレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」にレギュラー出演。
エッセイストとしても活躍中。